父親としての子への接し方

父親としての子への接し方

 

「子育て・教育について」題目

1.「父親としての子への接し方」

2.「子が懐いてくれないのは自分のせい」

 

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行政書士明和事務所

行政書士 吉田 重信

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今の時代、子育てに限らず、何についても考え方がフォーマル過ぎるな。

 

皆、それとなくキレイに纏まってはいるのだけれど、自分がない。

 

 

世情による影響も大きいと思う。

今のご時勢は法律や施設、役所手続等、
家庭への表面上のバックアップ体制は過去とは比べ物にならないくらい潤沢だ。

 

しかし、そうなったことによって、逆に不自由になってしまった点もある。

 

他者による体制が整うということは、
逆説的に捉えればそれだけ型にハメられ易くなったということだ。

 

 

今は人様の家庭のあり方に、他人の目が入り易くなり過ぎているな。

 

中性洗剤で洗ったかのような生臭みのない正論とやらが、
全体主義的な考え方の武器として、社会に蔓延してしまっているからだろう。

 

それを押し付け易いツールも、時代と共に大分発達してきたしね。

 

何とは言わないが。

 

 

僕は他人が他所の子育てのやり方や価値観等に対して、
手前勝手な基準で良し悪しを決定したりすることは、非常に愚かしいことだと思う。

 

 

神にでもなったつもりか、と。

 

 

 

自分の意見を持つことは良いことだ。

 

しかし、頼まれてもいないのなら口出しなどすべきではないだろう。

 

直接、手を出したりするのなんか、論外だと言っていい。

 

 

 

生きる、家族を作ることとは、本来、もっと血生臭いものだ。

 

家族が互いに血を流し合って作り上げるモニュメント。

 

それが家庭というものなのだ。

 

 

そこには他者の持論や抽象的な決まり事が介入する余地など、ない。

 

 

そう考えれば、他人がそれを振り回して当事者を否定したりすることが、
どれだけイビツでおぞましい行為であるか、良く分かるだろう。

 

 

今、離婚についての考え方に節操がなさ過ぎるのも、
家庭にそういった血生臭さがないからだ。

 

DV、モラハラ、虐待なんて社会の造語に踊らされて、
他人が提示した利益に飛びつき、家庭を放り出したりするのなんか正にその典型と言える。

 

まあ、そんな情報を提示したりする他人もバカだとは思うがね。

 

 

そういった、くだらん情報が蔓延しているせいもあってか、
今の子育て、結婚制度は、常識と体裁に重きを置いたものに成り下がっている。

生きるためのツールとしてなんか機能していないんだ。

 

 

 

 

僕自身、かつて結婚していた時期はある。

 

もっと言うと、そういう状況でなくとも、
家庭を持ち、子育てに参加していた時期だって、ある。

 

 

別に隠し子がいるとか、そういう話じゃないぞ。

 

 

型にはハマらず。

かといって、真剣味を失わず。

 

 

そうやって渡世をしていると、
思いもかけず、そんな機会に恵まれることだってあるんだ。

 

 

今、僕の手元に子は、いない。

 

だから、僕が語る子育てに関することは当時の記憶と、失敗談によるものだ。

 

オールマイティで語れる経験、能力がないことについては申し訳なく思う。

 

しかし、家庭というものに対してそういう刹那的な接し方をしてきたからこそ、
逆に見えている世界というものも、ある。

 

 

僕が感じている現代家庭特有の違和感なんかは、そこなのだと思う。

 

 

 

 

人は、いずれ去る。

 

 

そんな当たり前の事にさえ、気付いていない人は多い。

 

 

いや、気付かないようにしているだけなのかもしれないな。

 

 

 

 

今、この場で伝えられることは一つ。

 

 

後悔しないよう、接することだ。

 

 

 

 

子との関係性に、こうでなければならないなんて決まりはない。

 

なんでもそうやって定義付けしたがるのは、事象を客観的に見ている証拠だよ。

 

 

 

自分の子とのことなんだ。

 

もっと主観的に、エゴく生きたって良いと思う。

 

 

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