男は仕事と家庭、どちらを優先すべきか
「仕事と家庭の両立法」題目
2.「男は仕事と家庭、どちらを優先すべきか」
書いた人
離婚・家庭問題はお任せください
行政書士明和事務所
行政書士 吉田 重信
秀和システム様より、本を出版しております
「プロが本音で書いた男のための離婚の本」
表題の通りだ。
難しいことは聞いていない。
・・・答えは出たかい?
ここで聞いたのは、我と調和。
どちらに生き方の軸を置いているのか、ということだ。
騙まし討ちのような問い方をしたのは、済まないと思っている。
しかし、ここで伝えたかったのは表題の件を問われて、
ある、という答えを用意してしまったのであれば注意が必要、ということなんだ。
無論、例外もあるけれど・・・これはニュアンスを伝えるのが難しいな。
元々の家庭の作り方というか、奥さんの素養に左右される部分も大きいと思う。
まぁ、基本はダメだよ、そんな考え方をしていては。
少し、噛み砕くか。
仕事で成功したい、結果を残したいっていうのは、つまるところ、我なんだよ。
家族のためにもなるだろうってのは、前述した通り、ただの結果論に過ぎない。
結果論を好意的に受け取るか否か、それを委ねられているは常に受け手側だ。
自分から「良いものだろう」と言ってしまっては、
仮にどんな言い方をしたとしても詭弁にしかならない。
かえって、筋が通った話であればあるほど、より凄まじい反感を買うことになる。
だからこそ、僕はこれを、我、すなわち、個人の欲と見ている。
ここではそういう個人の欲と、家族とうまくやっていきたいという調和と、
どちらを取るのかを考えてもらいたかったんだ。
我を取るということは、つまるところ、博打だよ。
金こそ賭けてはいないが、ね。
まだ、自分に博打を打ち続けたいと思う「攻めっ気」があると自覚しているのであれば、
少なくとも、自分から家族がついてくることを求めてはいけないな。
別にそういうタイプは家庭を持つな、と言っているわけじゃない。
ただ、そういう生き方を選択するのであれば、
何かに追い縋ってはならないという矜持くらいは持っておくべきだ。
なぜかって?
運をなくすからだよ。
僕はこの件に関しては、絶対に止めておけ、と言えることが一つだけある。
それは、中途半端な気持ちなんかで賭場に立つな、ということだ。
死ぬぞ。
そんなことをしていると。
幸い、僕はそういう思いをする程度で済んだ。
でも、人によっては最悪、本当に命を落とすようなことにもなりかねない。
他人にやられるとか、そんなレアケースの話をしているわけじゃないんだ。
まぁ、「間接的に」という意味合いでは、それもありうるだろうけれど。
要は、そんな勝負の出方をしていると、
そのうち、自分で自分に手をかけるような状況にまで追い込まれかねないということだよ。
運は必ず、落ちる時が来る。
そして、運が離れている時というのは人が去っていくのと同時に、
自分のもとにロクでもない人間や事象を引き込みかねない非常に危険な状態でもあるんだ。
魔が差す。
正に、その一言に尽きると言っていい。
そんな状態の時に、去っていく人間に追い縋ったり、
不安や心細さから人に寄りかかったり流されたりすると、一瞬でエジキにされる。
そして、そのエジキにする人間は、何も他人であるとは限らない。
追い縋った自分の家族に喰われる場合だって、ある。
こんな経験をしてしまったら、もう、まともな神経では立ち直れない。
冷えた状態で打つ博打は、手の込んだ自殺と同義なんだ。
だから、我を取る生き方をするというのであれば、追うな。
家族を持つな、なんて言わない。
人に頼ってはいけない、なんてことも言わない。
ただ、決して、自らが追う生き方を、追う家族の作り方をしてはならない。
少し、長くなったな。
そろそろ、話を切り替えそうか。
逆に我ではなく、調和を取るというのであれば、
そのために色々と諦めたり、捨てたりしなければいけない場合もあるだろう。
抽象的な目的のためではなく、あくまで生きるための選択をするということは、
ある意味では、そのために己の夢や目的を諦めるということだ。
理不尽なことだと思うか?
でも、あなたの奥さんは家庭に入る際、少なからず、それをしてきているはずだよ。
男の場合は、身、一つだ。
家族を持とうが、子が生まれようが、ある程度、行動に融通は効く。
しかし、女の場合は、そうはいかない。
子が生まれてしまったら、尚更だ。
人として、女として、捨てなければならないものは山ほど、ある。
だから、本気で家族のことが大事だと思うのであれば、
夫がそのくらいの覚悟をしたとしても、大げさなことではないと思う。
例を挙げるとすれば、生活環境や職業で揉めているのなら、
会社を辞めて引っ越すくらいのことを考えても良いだろう、ということだ。
家族のために我を捨てる覚悟があるのなら、そのくらいはできるはずだろう。
生活が苦しくなるというのであれば、素直に家族にも協力を仰いでみたら良い。
「自分が頑張らないと」
そう思っているのは案外、自分だけかもしれないからね。
人を頼ることを知るのも、また強さの内だよ。
我は己の運の要素が大きく絡む。
だから、そういう生き方を選択するのであれば、
家族がいたとしても、基本的に「人は一人だ」というマインドを持っていた方が良い。
勝つ時も一人、負けて死ぬ時も一人。
それが本来の勝負、博打打ちの世界だ。
それができないというのであれば、悪いことは言わない。
勝負の世界には向いていないから、
幸せな家庭を築くことに専念する生き方を選択した方が良いだろう。
その方が、平穏無事に生きることができる確率は高いと思うからね。
僕はまだ若輩者であることには違いないが、コイツはある意味での老婆心なんだよ。
ここを読んでいる人は僕よりも年長者の人も多くいるだろうから、
僕みたいなガキに心配されて、余計なお世話だと思うような方もいるかもしれない。
でも、そう思う前に、今一度、自分とよく向かい合ってみてもらいたいんだ。
僕自身は、今、こうやって博打の世界で生きている。
でも、実は本来、勝負事には向いていない性質だ。
厚く張ることはできるのだけれど、
事の流れを傍観視するには、少々、性格がセンチメンタル過ぎるからね。
ドライになりきれない部分があるのは、
博打打ちの世界では欠点以外の何物でもないと思う。
まぁ、それゆえに持っている独特の強さもあるのだけれど。
だからこそ、不向きな上で張り続けることのしんどさをよく知っている。
これは、そこからくる老婆心なんだ。
我と調和、どちらを尊重するのが自分に向いているか、答えは出たかい?
無理せず、己の魂に忠実であれ、だ。
ここは正直でいいんだよ。
家庭はずっとついて回る。
無理して自分にウソをつき続けていたら、いずれ、どこかで爆発してしまうからね。
それを承知の上で出した結論であれば、
どんな内容であったとしてもおかしなことはない。
その結論に合わせた行動をしていけるかが重要なんだ。
仕事と家庭の問題のワンポイント
仕事は意地とプライドを持ってやるものだ。
だからこそ、揉める要素がある。
仕事場でも、家庭内でも、ね。
それを己の居場所とするのか、
あくまでも生きるためのツールとして割り切るのか。
それによって、アプローチの仕方も変わるということだよ。