離婚は自分がしようと思った時にすべし
「早期の離婚特有の問題点」題目
2.「スピード離婚ほど執着を生む 恋愛に近いトラブルの形態」
3.「離婚は自分がしようと思った時にすべし」
関連法律知識
書いた人
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行政書士明和事務所
行政書士 吉田 重信
秀和システム様より、本を出版しております
「プロが本音で書いた男のための離婚の本」
別に僕は離婚を推奨しているわけじゃない。
しかし、明らかに将来的なビジョンが見えてこない婚姻なのであれば、
体裁なんかを気にして無理に婚姻を続けることは無価値なことだとも考えている。
早い離婚はとにかく、他人からの印象が悪い。
「離婚しようと思うのだけれど・・・」
そんな相談を友人や親族にしたとしても、
大抵の場合は「まだ早い」と言われておしまいだろう。
でも、それは他人の言葉。
要は常識という体裁面を見た上での意見に過ぎない。
勘違いはしないでもらいたい。
別にそういった他人の意見が間違っていると言っている訳じゃないんだ。
ただ、その常識に通じた一般的な体裁観念を、
すべての離婚事情に当てはめて我慢をし続けるのはおかしいだろう。
たしかに早い離婚の印象は最悪。
特に、信用という部分に対しては大打撃だと思う。
しかし、時間の経ってしまった離婚もまた、それとは別の部分で大変なんだよ。
長く結婚を続けていれば、当然、対外的な付き合いもできてくる。
その後の離婚ってのは、その築いた人間関係も全て清算しなければならなくなる。
消える、というわけではない。
ただ、清算をした結果、その人達が相手側について、
自分の敵に回ってしまうようなことだってある。
人の過去、遍歴ってのは、一度できてしまうと引き剥がせないんだ。
骨にこびりついた筋や肉と同義だと言っていい。
だから、先が見えないと早いうちに判断をしたのなら、
そういった血肉ができてしまう前にさっさと決着をつけてしまうのもアリだと思う。
不道徳と言われるかもしれないけれど、互いに一度しかない人生だ。
僕は特別おかしなことだとは思わないな。
あくまで一般常識を「指針」として知識に入れておくのは良い。
ただ、「自分の場合はどうするか」といった個別具体的な決断をする際、
それを絶対的な正解論として考えてしまうのは、やはり間違っていると思う。