親族間の付き合いは好き嫌いでは済まされない
「親族との付き合い」題目
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行政書士明和事務所
行政書士 吉田 重信
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ここ最近の家庭内事情では、
生活の負荷に対する知見が浅いと思われるような事例が多い。
いや、現実が見えていないというべきか。
みんな、頭では理解しているんだよ。
結婚をするということは、そういうものだと、ね。
ただ、知識で知っているだけでストレスを体験したことがあるわけじゃないから、
実際の負荷を目の当たりにした際、それに対する耐性がないんだ。
だから、嫌だ、嫌いだと感じたら、それを平気で表に出す。
生活習慣上での不満程度ならまだかわいい方で、
例えば義理の両親等に対して「嫌い」、「関わりたくない」なんてことまで言ったりすることもある。
そういうのは、仮に思っても外に出してはいけないという常識がないんだ。
なんでなんだろうな。
ここ最近では家庭内事情だけに限った話じゃなく、他の様々な場面でも、
アレが気に入らない、嫌いみたいなことを宣言したりするのが当たり前の論調になってきている。
どうして、そんなことをいちいち発表する必要があるのか。
皆、一体、何に対して牽制をしているんだ。
あくまで私見を述べさせてもらうが、
こういうのはある種の承認欲求の成れの果てだと思っている。
つまり、自分をわかってほしいという欲求が満たされることを渇望しすぎるから、
それが嫌い、むかつく等の強い主張となって外に出てきてしまうんだ。
原因は話し手の欲求の強さもあるが・・・正直、聞き手の理解力の低下にも問題があると思う。
あまり「ネットが~ネットが~」と口うるさく言いたくはないが、
こればかりは情報をデジタルで仕入れるのが主流になったことが原因としか言いようがないな。
最近のメディア関連の情報はインターフェースが無駄にユーザービリティに富んでいたり、
情報の内容自体が親切、丁寧すぎていたりするだろう。
映画等に至っては、いちいち描いたり喋らせたりしなくて良いところまで描写したりしている。
情報の受動性の向上と、参加型によるコンテンツ生成の蔓延。
恐らく、問題の核となっているのはここだろうね。
この話を頭の先からケツまで説明していたら話が思い切り脱線してしまうから、
ひとまずここでは割愛するけれど、要は世の中が便利になりすぎたんだな。
全体的に、人々の思考力が落ちてきていると思う。
パートナーとのコミュニケーション能力が低下して、
モラハラやDV、親族間での非常識なトラブル等がより顕在化し易くなってきたのもその影響だよ。
他人同士で生活なんかしていれば、不満なんかいくらでも出てくる。
相手の親族なんて、多少、気に入らない部分があって当たり前なんだ。
それなのに、察しと思いやりを感じ取るための思考力が落ちてきているから、
婚姻や親族間の付き合いという微妙な関係を、「好きか嫌いか」の単純な感情論で断じてしまう。
これは女が、という話じゃない。
男も同様だな。
先駆者として一つだけ忠告をしておく。
相手の親、兄弟を嫌っている云々の話は絶対にするな。
いかなる理由や事情があったとしても、だ。
親が子を愛することが理屈じゃないのと同じで、子が親族を愛し、慕うのも理屈じゃない。
割り切れない話なんだよ。
最近ではそういったことを男女共に遠慮なくパートナーに言ってしまう事例が多い。
いくらなんでも、思料が浅すぎるとしか言いようがないな。
気に入らない部分があってしまうのは仕方がない。
ただ、それは婚姻関係を続けていく以上、必死で押さえておかなければならないものなんだ。
親族と縁切りするような話であれば別だが、基本的に例外はないと考えている。
絶望したかい?
それじゃあ、最後に少し希望のある話をしておこうか。
逆に言うと、そこさえしっかりしていれば家庭が内部崩壊することはないということだよ。
浮気や浪費等、外面的な事情でもない限りは、ね。
・壊れにくい家庭の作り方でも書いたが、
家庭を壊す要因は主に当事者の内面に潜んでいるんだ。
親族とうまくやっていくだけで、少なくともそこは潰せる。
なぜかって?
家族としてつながるということは、打算なんかじゃないからだ。
