土台もなく起業や不労所得で家族を養おうとする奴はバカ
「これからの家庭の姿・形」題目
1.「男の尊厳、プライドなど無理に取り戻そうとしなくていい」
2.「土台もなく起業や不労所得で家族を養おうとする奴はバカ」![]()
書いた人

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行政書士明和事務所
行政書士 吉田 重信
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近年では情報ツールの発達によって、生き方にも色々な形が成立するようになってきたな。
多様性が出てきた、とは言わない。
どちらかというと、「成功の形が定型化されてきた」といった感じだ。
定年まで会社に勤めるといった生き方が、
必ずしも正しいとは言えないような世情になりつつもある。
これまでの古い生き方を捨てて新しい世界に飛び込み、
そこで生活基盤を築いて家族と生きる様に希望を見出すような人達もいるだろう。
誘惑も多い。
「これでウン千万、ウン億稼いだ」なんて情報、ネットとかだと日常茶飯事的に目にする。
これはちょっと極端すぎるか。
そこまでいかなくとも、新しいビジネスや投資、資産運用なんかに付随する形で、
セカンドライフ的な生き方を進めるような情報も多いな。
それを推進しやすいツールが、ここ10年くらいで異常に発達したからね。
「ヤリ逃げ」し易い世情になったんだ。
無論、それを勧めているのがそんな無責任な連中ばかりとは限らない。
自分も儲かるし、相手も儲かると踏んで、
純粋にWIN、WINの関係を築こうとしているような人達だっているだろう。
そういった情報を聞いて、「一口、乗ってみようか」と考える事もあると思う。
一概に悪いことだとは思わない。
家族のためになるから、生活にプラスになるから、
これらのことはそういった動機で手を出すケースも少なくないからだ。
ただ、給料取りではなく、自ら金を生み出す生き方ってのは、つまるところ博打なんだよ。
これはギャンブル等ではなく、投資や起業であっても同じこと。
銘柄選定や営業、宣伝方法までコンサルしたりするようなサービスも見られるけれど、
そういう技巧的な方法論を突き詰めるだけでは決して超えられない壁のある世界でもある。
博打打ちとしてやっていくには、
そういう生き方しかできないという「負の素養」が必要なんだ。
当然、家族もそれを理解できる人でなければならない。
でなきゃ、こんな生き方、続くわけがないだろう。
仮に結果を出していたとしても、
いずれその傍から見たら不安定でイビツな生活環境に耐えられなくなる。
自分だけじゃない、家族も、だぞ。
商材や起業等の情報はそれを行うための技巧的な情報ばかりで、そこが抜けているんだよ。
仮に対象が妻帯者でなかったとしても、同じことだ。
例えば、株や投資でいくらか実績を出していたとしても、
四六時中、家の中でPCとにらめっこしているような人間を家族が好意的に見るか?
気にしない人は気にしないだろうが、普通は気にする。
そこも・壊れにくい家庭の作り方で説いた価値観、ラインの違いだよ。
気にならないのは、博打を打っている本人だけだ。
それを理解できない博打打ちは家族なんか持つべきではないな。
また、近頃では信託投資じみたもの、
要は賭場には自分が行くから金を出すだけで良いみたいな博打の打ち方を勧める者もいる。
いわゆる、共闘博打だな。
共闘博打なんてのは、僕から言わせれば博打の範疇じゃない。
無論、あくまで主導権は完全に自分が握っていて、
協力者を浮き砲台として利用するような間接的な形での共闘ならば有り得るだろうがね。
お互いに知恵を出し合って、協力し合ってなんて、
そんな「熱」のこもらない勝負の仕方はありえないだろう。
博打の本質は己を賭けること。
金は媒介に過ぎない。
要はこんな博打の打ち方をしている人間は、
一見、打っているように見えて、打っちゃいないんだ。
なによりも問題なのが打ち手がそれに気付かず、
計算上で結果を出したくらいで「博打で勝った」と勘違いをしてしまうことだな。
計算で結果の出せる勝負なんてのは、たかが知れている。
決まったルールの中で自分が攻めたら相手は引いて、
引けば相手が攻めてくるというような「お上品」な世界の話じゃないんだ。
そんなスマートな世界であって、たまるかよ。
己の命運を機械仕掛けの世界なんかに放るバカがどこにいるってんだ。
建前と腕力のカラクリに気付かない者は、博打打ちには向いていない。
人に任せていては、その「熱」に気付けないんだ。
別に信託型の投資自体を悪者にするつもりはない。
というか、僕には投資に関しちゃあ人に語れるレベルの知見はない。
不労所得を得られるよう努力することも、ポートフォリオの一環としてなら有りだと思う。
しかし、そんな細かい話はどうでも良い。
自分でリスクを負って物事を判断することができないというのなら、
こんな博打の打ち方は絶対にするな。
もちろん、人から「勝ち方」とやらを教わって打つ博打も、だ。
博打にはどんな形式の勝負であれ、
打ち手個人の腕力という要素が絡むポイントが必ず存在する。
これはパチンコ・パチスロのような、
機械を相手にする勝負事であったとしても同じことだ。
「やり方」なんて技巧的なものはむしろオマケみたいなもので、
博打に勝つためのメインとなる要素はそこにあると言っても過言じゃない。
要は知識や技術的なことなんかいくら突き詰めたって、勝てないヤツは勝てないんだよ。
「やり方」を勉強しなきゃ、正しく打てないじゃないかって?
そういう考え方をする人は博打の才能なんてないから、今すぐ博打を打つのを止めなさい。
僕は冒頭から言っているはずだよ。
博打は生き方なのだ、と。
生き方にマニュアルやセオリーなんてものが存在するわけないだろう。
博打打ちは間違っても、「頑張って目指す」ような生き方じゃないんだ。
無論、博打打ちなりの努力はするが、ね。
それでも、それはそういう生き方を「目指すため」の努力とは違う。
家族がいるのだから会社にしがみついていろ、とかそんなことを言っているわけではない。
ただ、手招きされるような場所に天国はないよ。
それを知って欲しかった。
臨機応変に生きる方法を探るということは、それだけ己の人生に執着のある証拠。
今の社会情勢では、そのくらい貪欲であっても良いだろう。
しかし、目先の金や気楽さに惑わされて浮き足立った生き方を選択し、
それに家族を巻き込んだりするのは間違いなく、悪だ。
柔軟性を持ちつつも、己の主体性はブらさない、
それが今後の家庭を維持していく上で必要なことだと思う。
他に道があるのに、他に生きる術があるのに、
わざわざ博打打ちになろうとするような愚か者に未来はない。
そんな連中、個人的には全員、地獄に堕ちれば良いとさえ思っている。
1.「男の尊厳、プライドなど無理に取り戻そうとしなくていい」
