不倫バッシングは処罰感情ではない

不倫バッシングは処罰感情ではない

 

 

広末涼子氏の不倫問題が世間を騒がせておりますが、
それに合わせて不倫に対する様々なスタンスや考え方が見られるようになりましたね。

中には不倫行為を擁護して、矛先を夫側に向けるかのような意見もあったりしますが、
これは流石に見ていて頭が痛くなります。

本件に限った話ではなく、一般的な不倫や浮気が発覚した際にも使われる論調でありますが、
こういった意見は故意性が内含した責任転換でしかありません。

 

自覚がなければ矛先を他所に向けたりする必要性などないはずですから。

要は、悪いことだという自覚ありきの逃げの論法に過ぎないというわけです。

 

不倫は原則として違法行為とされているけれど、
その背景については一概に断定できるものではないからそれを良し悪しで断罪はしない。

ただ、人の気持ちを裏切ったり、保身のためにウソをついたり、
被害者を気取ってパートナーを陥れたりする行為は間違いなく  だよ。

 

ましてや、子どもがいる立場だぜ?

 

これを悪いことだと世間で声をあげたり報道したりしないで、
どうやって社会を維持してゆくというのか。

 

不倫を叩き棒にしてバッシングするななどという弁護士の意見も散見されるが、
これは論点をすり替えて世論を矮小化しているだけに過ぎない。

そもそも、この手の問題を人権問題にすり替えていることが間違っているし、
世情から見ても物事の考え方が相変わらずズレているとしか言いようがないな。

 

世間が問題視しているのは不倫という行為そのものではなくて、
それを行った当事者の社会性の欠如でしょう。

 

要は、この問題は法律や人権ではなくて道徳の問題なんだよ。

みんな、その点の常識のなさを非難しているんじゃん。

 

誰もいちいち不倫したからって当事者の仕事を全部奪えとか、
社会から排除しろとまで考えていないだろう。

それは流石に騒ぎすぎだし、
過度な処罰感情や中傷が法律問題として対処されるのは当然だ。

ただ、それを行ったこと自体は社会から非難されて然るべきだと言っているわけ。

 

自分の家庭はそうではなかったとか、そういう愛の形もあっていいんじゃん、みたいな意見もあるが、
それはマイノリティとして勝手にやっていれば良いだけで一般論として普及させるべきではない。

多様性が認められやすい世情になりつつあるけれど、
悪いことに悪いと言う声を非難したりする世の中はやはり僕は間違っていると思うぞ。

 

君達が今回やったことは理由があろうがなんだろうが、
順序が間違っているんだから悪いことだよ。

 

擁護するような意見が多少あったとしても、世間の基本的な考え方は変わらない。

個人的にも変えるべきではないと思うしな。

 

ただ、不倫した側もされた側も、
今後も社会で生きていかないといけない大人なんだ。

世間もそれは現実として受け入れてあげないとな。

 

そのためにも、けじめとして「責任」はちゃんと取りなよ。

 

責任は取らさせることよりも、取らせてもらえないことの方がおっかないんだから、
取れる内に自分達の方から進んで取りにいった方がよろしい。

 

手厳しい意見に聞こえるかもしれないが、
これは改めて当事者全員が今後も社会で活躍してゆけるように、と願って書いたものだ。

 

 

間違いは誰にだってある。

 

でも、ケツの取り方を違えた者が社会から排除されるのは当たり前じゃないか。

 

 

2023.06.24 wrote

行政書士 吉田 重信

 

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