社会で減り続けてゆく男の居場所
「男という世界」題目
1.「社会で減り続けてゆく男の居場所」![]()
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行政書士明和事務所
行政書士 吉田 重信
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男らしい男というのを、実社会ではあまり見かける機会がなくなったと感じる。
考え方の変化という理由も大いにあるのだろうが、
世情による作用も大きいのだろう。
すなわち、体裁面での価値観の変化だね。
外部からそういった人物があまり評価されることがないから、
皆、必然的にそういった部分は表に出さず、隠してしまうような傾向にある。
評価をされない、されにくい生き方をしていては、
社会で立場を作って生きてゆくことが難しくなっていくからね。
居場所がないゆえの、渡世の一環とも言える現象だ。
ただ、隠してしまっているだけで、
男らしい男がいなくなったわけではないというのが面白いところではある。
この界隈で相談事に乗っていると、
意外と清廉とした潔い「男」に出会う機会は少なくない。
皆、ぱっと見は最近の人らしく、シュッとした感じにしているけどね。
でも話を聞いていると、大抵の人が既に色々な意味で腹を括っていて、
自分を守ることなどもうよろしい、という考えでやってきた人がほとんどなんだ。
ウチがそういう事務所だから、
必然的にそういった人達が集まりやすいという面もあるとは思う。
しかし、いつまでも守りに徹していられないのは、
元々、皆が初めから保有していた男の本質であるとも考えている。
今のご時世では、なんでもコスパだのタイパだのの実質的価値で物事を計ろうとするから、
こういった生き方や価値観はバカで無価値なものと見られがちだ。
そういう腹を括った態度を、
「負け犬の遠吠え」かのように嘲笑うような風習まであるからな。
しかし、元来、男とはバカな生き物なのだ。
そのバカに時には命を賭けて見せたりもするから、
理屈や計算では測りきれないような物事を動かしてきたという側面もある。
なんでも即物的な価値観で物事を判断、評価するようになったから、
このような男らしい生き方や決断を、皆、表に出さなくなってきてしまったのだろう。
これは非生産的な考えにつながるものでもあり、
ひいては男という生物的価値をも否定することにもつながる。
男の立場でそんな嘲笑的価値観でいる者は、
自分が男であることを自己否定しているのと同じだ。
しかし、時代背景的にそういったバカな生き方によって、
結果につなげられるような機会は減ったから、そのような考えに至ってしまうのも理解はできる。
ただ、不器用だが清廉とした生き方が、
男として評価されるような居場所は社会で積極的に作っていく必要があるだろう。
男達が皆、損得でしか動けなくなったら、
一体、なにをもって社会道徳の存在を証明するというのか。
道徳など必要ないなどと言っている者ほど、
社会道徳によって生かされている側面があるという点は忘れてはならない。
人間社会は元々が相互扶助によって成り立っているもので、
社会道徳はそれに説得力を持たせられる唯一の「余地」でもある。
その存在を証明できるのは、損得勘定だけでは計らぬバカな生き方。
男の価値は計りきれるものだけで測ってはならないということだ。
