社会には居場所を求めるような男の居場所などない

男が居場所なんか求めるんじゃない

 

「男という世界」題目

1.「社会で減り続けてゆく男の居場所」

2.「結果で評価されるしかない男の人生」

3.「父親よ、家族に対して諂うな」

4.「男が居場所なんか求めるんじゃない」

 

書いた人

離婚・家庭問題はお任せください

行政書士明和事務所

行政書士 吉田 重信

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自分の居場所は、他人に認めてもらうものにあらず。

 

それなのにも関わらず、この世の中では、
自分がそこにいることを他人に認めてもらえないと生きてゆけない人が多いらしい。

これも所謂、承認欲求の内の一つなのだと思うけれど、
人からOKをもらいたいってのは、その時点で風下に立っているのと同義だ。

 

だって、己の人生の決定権を他人の承認に委ねちゃっているようなものだし。

 

それをしないといけない理由はなんなのかって話なんだけれど、
突き詰めていくと、どうやら帰属意識とそこでの己の価値に対する執着が根幹にあるようだ。

要は、どこかに所属して、必要とされていたいという欲求だね。

 

離婚や家庭問題ではその対象が家族になったりするんだけれど、
これは裏を返せば、そこは自分がいたからこその場所なのだと認めさせたい、

そういった部分に対する執着と、それの喪失を認めることができない気持ちがあるから、
意固地にだってなるし、激しく対立もするのだろう。

 

表面上は金や面会等で争っていたとしても、ね。

 

恐らく、根っこはそこだと思う。

 

 

執着と、喪失。

この欲求の本質を率直に言うと、この二つに尽きる。

 

執着があるからそこから去るだけでは終われず、
喪失があるからその埋め合わせとしてなんらかの見返りを求めるわけで。

 

 

これは男女どちらに限らず、だ。

 

人間の弱くて、幼くて、切ない部分。

 

 

でもさ、そうやってこだわっているものって、
本来的にはなんら執着する価値のないものなんだよ。

その場所の、そこにいる人達だけの価値観だけによる評価なのだから、
それで自分のなにかが確定的に決まるわけじゃない。

 

要は居場所を求めるってのは己の価値を他人に委ねたいという、
一種の「甘え」なんだよね。

 

そしてこれは、自分で自分の価値を決めることができないという裏返しでもある。

それは表に出してはならないだろう、流石に。

 

 

女はまぁ、いいよ、それで。

もともと、根を張ることで価値を咲かせる花なんだし。

 

でも男の場合は、どこかに帰属することを求めるのではなく、
自分が帰属される立場にならないとな。

花じゃなくて、土になるんだ、土に。

 

根付かせてもらう立場ってのは、承認ありきの人生なんだよ。

男は、常に与える立場でなきゃならんだろう。

 

求めるから、人は去っていくんだ。

 

 

ホント、因果な商売だよ。

 

男ってのはな。

 

 

 1.「社会で減り続けてゆく男の居場所」

 2.「結果で評価されるしかない男の人生」

 3.「父親よ、家族に対して諂うな」

 続き「男の渡世 男の愛情表現はストレートに言葉にはできない」

 

 

 

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