大衆意見に迎合した政治主張は理性的とは言えない

大衆意見に迎合した政治主張は理性的とは言えない

 

 

都議選が終わった直後だからか、
それを通して現政権に対する批判的な意見を表明する弁護士とかが増えてきたな。

 

でも、どの意見も大衆に迎合するような話ばかりで、
特になにか特筆できるようなことはなかったようにも思える。

既に出きっている一般的な意見を煽って、
現政権に対して手厳しい物言いをしているようなものばかりだ。

 

 

あまりカテゴライズしたことは言いたくはないが、
こういった煽情的な意見は典型的な「ポピュリズム」そのものだろう。

とても理性的な意見とは言い難い。

 

批判はあって然るべき状況かとは思うが、
それにしたって、もう少し自立した意見を言うべきなんじゃないのか。

 

 

「大衆に合わせた意見のなにが悪いのか」という意見もあるだろう。

 

しかし、一般論に迎合しただけの意見は政治的な判断とは相容れないものでもある。

 

 

大衆意識は国を運営してゆく上で無視してはならないものだが、
個に焦点を当てただけの判断では全ての物事を満足させることもできない。

 

当たり前の話だが、大衆意識は今そこにある不安や不満に傾倒する傾向がある。

すなわち、大衆受けする言動というものは即物的なものになりがちということだ。

 

言った矢先で人気は取れるかもしれないが、
それが大局を見た上での結論かと言われると首を傾げざるを得ない。

 

 

もちろん、現体制に対する不満は僕にだってある。

以前に掲載したコラムだって、そこからついつい出てしまったものだ。

 

ただ、気に入らないことをあげつらってやめろやめろというのではなく、
どうしたらいいと思うのかくらいは論理的に説明すべきだろう。

そうであってこそ否定や批判も、
れっきとした意見、主張として受け入れられるものになるんじゃないのか。

 

 

知識人枠として政治的主張をするのであれば、
もう少し知性を感じとれるような意見を聞きたいものだな。

 

皆が思っていることを口にするってのは、案外、誰にでもできることなんだよ。

個人発信がしやすくなった今のご時世では特に、だ。

 

そして、否定、批判をするだけならばバカにだってできる。

 

 

 

俺が聞きたいのは、

 

 

お前はどう思うのかという話だ。

 

 

 

否定するのならば対案を出せとか、めんどくせぇことを言う気はない。

 

ただ、真意はどこにあるのか。

 

 

2025.06.25 wrote

行政書士 吉田 重信

 

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